『自分のため』と『誰かのため 』果たしてどちらが大切か究極の二択
利己的とは、自己の利益を重視し、
他者の利益を軽視、無視する考え方。
それにより、他者が不利益や損害を
被ることも少なくない。
利他的とは自分に何らかのコスト(時間、労力、お金、など)を負いながら他者に利益を与える行動を指す。
仕事をする上、生活する上で超短期的な見方なら圧倒的に利己的にほうが成果がでる。
それが期間が長くなればなるほど、利己的に動いていると逆に自分の動ける幅が狭まり、身動きができなくなる。
人が一人ではやれることはたかが知れている。社会で生きている限り、他者とのか関わりは避けられないのだから利他的な精神の必要性を考えることが長期的にみたときに成功への条件である。
ただ、
本当にその二択のなのだろうか?
今の世の中をみたときに、
本当に楽しそうに、
自分らしくのびのびと、
でも人の何十倍・何百倍の仕事量をこなしながら、世の中を変えてる人、これから変えていく人はどっちなんだろう・・・?
そうなったときにでてくる第三の思考。
『自己中心的利他』
自分が今、必要だと思っていること、未来に必要だと思っていること、世の中を良くするために、たくさんの幸せをつくるために、主観いいから、それに対して
『絶対』
をもって動いていて、そのテリトリーが圧倒的にに広く、
自分のやりたいことをやっていたら、
『いつの間にか誰かのためになったいた。』
自己を曲げず圧倒的な大きささえあれば自己中心的でいいということ。あとは事象が勝手についてくる。
ついてこないのはその大きさが足りないだけ。
そんな第三の考え方があると、すっと腑に落ちる気がする。
輪が狭いと、それはただの『ワガママ』になってしまう。
我がままに、絶対的な自己顕示と社会性の融合、言葉で言うと一言だけど、もっとも難しい領域。
他人の顔色を伺うより自分の顔色を伺う。
自分のやりたいこと、
想いを拡げて強めていき、
最終的に利己的でも利他的でもない、
自己中心的利他を形成していく。
人は周りの人との比較しないと
自分の現状がわかりづらい。
比較すること自体は悪いことではないけど、それでいちいち落ち込んだり
自分を卑下する必要もない。
自分の今いる場所を確認した上で、
自分の伸びしろを知り、
さらに成長・変化していく
きっかけにするのだ。
考えれば考えるほど道のりは険しく遠い。笑
頑張っていきましょ。
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